27. 10月 2000 · [EPISODE 42]1979年秋のアメリカでの話。そして・・・。 はコメントを受け付けていません · Categories: 過去の四方山Episode1〜

(今回は、その頃流行っていた雑誌POPEYE調で書きます。)

 

先日東京にいた時、閉店後にレコスケ2号の井○さんが、「さっき、レコファンに寄ったら、イーグルスの名盤The Long Run(1979年発売)のオリジナルアメリカ盤があったから、買ってきて上げたよ~。380円だった。」と、店へ入って来た。

井○さんは、勝手知ったる他人の家よろしく、さっそくレコードプレイヤーでHeatache tonightを聴き始めた。懐かしい。実に懐かしい。1979年秋、単身でアメリカへ長期出張した事を思い出した。私は、イーグルスが1976年冬にOne of these nightツアーで日本公演を観たが、この2回目の日本公演The Long Runツアーはこの年の春から秋へ順延になってしまったため、チケットを買ってあったにもかかわらずアメリカ出張のために観ることができなかった。その代わりに、出張中ロスをレンタカーで走っている時に、一日に何度もラジオからHeatache tonightが流れてきて、この曲はこの旅での経験と共に一生忘れられない思い出になった。今もこの曲を聴くと、あの時代の自分とカリフォルニアの青い空、そして流山の家を思い出す。

音楽的には、もうすでにブルースロックの時代ではなかったので、滅多に聴けないスライドをジョー・ウォルシュがかったるく弾いていたのがやけにかっこよかった。

今思い返すと、1970年代後半は春の陽気のようにボヤ~ンとしていて、1970代初頭みたいに過激に哲学的な論争をするよりも、無心論者のようにただ時間がゆったりと過ぎてゆく時代だったような気がする。

 

これから、時々この旅で体験した70’sのアメリカを断続的にお話することにしよう。1ドル=200円時代、アメリカはベトナム戦争が終わって平和な雰囲気。今のように全世界同時に同じ情報を得られる時代とは違い、情報の伝達時間や高額な渡航費などアメリカが遠かった時代に、ニューヨーク市ソーホーでエルビンジョーンズを観たり、はるばるジョージア州メイコン市のDuane Allmanの墓へ行った話しや、彼のギターを買いそびれた話など、故アレン・ウディと会った話、勿論ギターについては、コレクターにレスポール58~60を一度に何本も見せてもらった話や、飛行機事故で壊れたレイナード・スキナードのPベース、ステージで壊されたキッスのLpstdブラックなど書こうかと思う。

 

 

 

今回は、先月NHKでやっていた「オヤジ・バトル」を観ていて、この話を書きたくなった。

この1979年秋の旅の目的は、主にアメリカと日本の楽器市場の違いを実際に自分の目で確かめて調査する事だった。当然の事に、どの都市でも楽器店にお邪魔して、オーナーや従業員の人と話して、アメリカの楽器業界や小売店に学ぶべきことを見つけに出すために時間を費やした。そんな中で、羨ましい光景を見ることが出来た。

1)ニューヨークのある楽器店の出来事。

40代後半の中年夫婦が真新しいフェンダーのストラトキャスターを買っているのに遭遇した。「息子に買ってやるのか?」と聞くと、「何言ってんだ。俺が弾くんだ。今度、又バンドをやるからギターを買いに来たんだ。」と言って嬉しそうに帰っていった。

 

2)ナシュビルの楽器屋さん。

オーナーと話していると、若いアベックと一緒にお母さんらしき人が入ってきた。広い店内で遠くから3人を何気なく見ていると、お母さんらしき人がGibsonアコースティックを何本か試し弾きしている。はじめ、アベックにギターを選んでやっているように思えたが、どうもそうではないようだ。アベックがまだ?という退屈な顔をして待っている。ようやく、LG-Oに決めて買って帰っていった。担当した人に誰の為にギターを買って行ったかを聞くと、お母さんが自分のギターを買いに来て、息子達はついてきたそうだ。

 

この2件だけでも、その当時日本では考えられない事だったのでものすごく印象に残った。アメリカの人にとっては、音楽は日常的であり、とりわけギターミュージックとの関わりがものすごく深いものと感じた。実に羨ましかったし、はっきり言ってショックだった。そして、いつか、日本にも年を関係なくギター・ミュージックを楽しむ時代が来る事を祈った27才の秋。

1990年代に入り、ボツボツと親子でギターを買ってくれる時代がやってきた。ある日、16歳の息子にFenderギターを買ってやるために来た父親が、息子と一緒にGibsonを買ってくれた(その親子とは南蛮屋のジュンちゃん親子)。絶対に広告にしようと決め、プレイヤー誌別冊ギター5か6で親子と一緒に当社広告に出た。

 

2000年代に入り、40代以上のバンドが目立ってきた。テレビで昨年から「オヤジ・バトル」が始まった。皆さん、それぞれの楽しみ方でバンド演奏を楽しんでおられる。見ているほうも楽しくなったり、恥ずかしくなったりして実に楽しい。ただ、司会者の人や審査員の人にお願いしたい。もう年齢から音楽を判断しないほうが良いのではないかと思う。それでは、番組が成り立たないかもしれないが、出演者に対して、どんな年齢でも演奏しているのが当たり前のように接して欲しい。音楽を消耗品のように扱う時代だから、昔の音楽や熟年バンドを

珍しく扱うのはわかる気もしないが、本来音楽は積み重なって膨らみ時代に投影していくものなはずである。

1979年にアメリカで見た光景はそのものだった。音楽は、いつも始まりであり、いつまでも追求できる奥の深いものである。

マリナーズのイチローが、「日本人同士の対決が、珍しくなくなる日を望む」とインタビューで言っていたように、演奏者の年齢関係なく音楽が評価される日が来る事を祈る49歳の春。

 

まあ、偉そうなことを書いてしまいましたが、理屈抜きでお互いにギター・ライフをエンジョイしましょう。 お休みなさい。