19. 7月 2020 · [EPISODE2779]追悼 ジェイミー・オールダッカーさん。 はコメントを受け付けていません · Categories: 新着情報

7月17日朝(現地時間7月16日)、われらのジェイミー・オールダッカーが亡くなってしまった。
6月27日、アラバマボーイのアルバムに参加していただいたピート・カーさんが亡くなったばかりだったのに・・・。
本当に残念です。
数日前、奥さんとメールで話した時、お医者さんが「かなり弱ってきているけど、1か月ぐらいは持つ?」とのことでした。
あまりにも急だったし、新譜全曲を聴かせることができなかったこと、本当に悔やまれます。
がっくり。。
前作9枚目“Brotherly love”では、製作途中で亡くなった故スコット・ボイヤーさんに最終音源を聴いてもらえなかった。
8月発売後、一緒に聴いて、喜びたかったのに・・・。
だから、必死に頑張ったのに、このコロナ騒ぎで中断。
あと、ちょっとだった・・・。
本当に残念です。
せめて、ジェイミーのために作った1曲を聴いて、笑ってもらったことが救いです。
愛嬌あるジェイミーを歌った曲。
今は、聴くのが辛いな。。。

*私とジェイミーの関係。
1)最初
ジェイミーは、皆さん良くご存じのとおり1970年代のエリック・クラプトン・バンドのドラマーです。
初めて話したのは、1975年11月、エリック・クラプトン静岡駿府会館公演の帰り、エリックさん、パティさんはじめメンバーの皆さんと新幹線が一緒になった時です。

  

ジェイミーは、今は無き食堂車でゆっくり話してくれました。
カールさんは、ちょっと怖かった。

2)二度目
2004年、アラバマ州マッスル・ショールズで二回目のレコーディングの際、SWAMP WATERSにピアノで参加したサム・テイラーからジェイミーを紹介されたのです。
縁は異なもので、サムがテキサスのスタジオでレコーディング最中、となりの部屋でジェイミーがレコーディングしてたそうです。
そして、2004年7月31日、マッスル・ショールズ・サウンドスタジオで再会。


他のメンバー同士は、旧知の仲。
ジェイミーはちょっと外様だったかな?
ピアノのチャック(リベール)さんとは、クラプトンつながりで知り合いだったかもしれません。
年齢も近いこともあり、すぐに冗談を言い合ってました。

*3回目~数回

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2006年、ダラスで3枚目”Slideaway”レコーディングに参加してくれたのと、ダラス・エリアで数回一緒にライブしました。
特に、2007年秋のテキサカーナ・ブルース・ライブでは、ジョニーウィンターと同じステージに立てたのは嬉しかったです。
この時、偶然ホテルのロビーでビリー・ギボンズさんと会ったのもラッキーでした。
ジェイミーも自己紹介してCDを渡してました。
ははは。
ここまで、ジェイミーとはお互いに理解はしてましたが、そんなに深い仲まではなってなかった気がします。

*7回目
2013年11月、いきなり私のライブへ乱入。


 

 

 

 

 

 

来てくれた東京と名古屋のオーディエンスはびっくりしてました。
楽しかった。

*8回目
2018年。
実は、ジェイミーはこの年4月に癌が発見されて、治療を開始しました。
かなり心配しましたが、11月、ナンシー開店30周年ライブへ遊びに来てくれたのです。

 
東京だけだったので、リハーサル、ライブ、レコーディング、東京見物・・・。
ここからお互いに面白くなってしまい、いつも大笑い。
滅茶滅茶打ち解けました。
ジェイミーの奥さんも、二人のやり取りを聞いてて、呆れて大笑い。(笑)
ライブ後は、スタジオへ入って数曲レコーディングしました。

*9回目
2019年9月
ダラスのクロスロード・コンサートにジェイミーが出演するというので、急いで行きました。


クラプトンさんは、ジェイミーの健康状態を知っていて誘ったのでしょう。
その模様は、去年、この四方山で書いたので参照ください。
先日知ったのですが、クラプトンさんは、ジェイミーが亡くなる前の日まで、時々電話をかけてきて励ましてくれたそうです。
グッときました。
コンサート後、残りの曲をテキサスのスタジオでレコーディングしました。
ジェイミー、前回よりも辛そうでした。
でも頑張ってくれた。
本当に楽しかった。


ジェイミーは、バンドメイト以上に大切な友人なことを確信しました。
この時に、ジェイミーの曲を作りました。
以上です。
まだまだしばらく、一緒に演奏・遊べると思ったのに・・・・。

ジェイミー、もう痛みをこらえる必要はないから。
ゆっくり休んでください。
向こう行ったら、故カール・レイドルさん、故ディック・シムズさんとまたタルサ・バンドを組んでください。

Rest In Peace

つづく。