05. 1月 2022 · [EPISODE2833]1971年三島市の続き。 はコメントを受け付けていません · Categories: 新着情報

■三島で体験した音楽・楽器関係。
*レッド・ツェッペリン
初めて、レッド・ツェッペリンのファースト・アルバムとセカンド・アルバムを聴いた。
ドラマーがレコードを持っていたので、聴かせてもらいました。
ツェッペリンのことは知っていましたが、お金がなく、ラジオでかかるコミニュケーション・ブレイクダウンなど数曲しか知りませんでした。
迫力あるバンドでした。
クリームみたいに長い演奏よりも、曲の構成がしっかりした演奏に感じました。
ドラマーは、グッド・タイムス&バット・タイムスのバスドラのキックをダブルバスドラかと思ったと言っていた 。
私は、ハード・ブレイカーのソロの出だし、どうやっているか?見当もつかなかった。
この頃、ツェッペリンの演奏を聴いていると、ロックの常識が変わったと感じました。

*自分のギタースタイルの確立?
その頃の私は、ブルースに傾倒し始め、マイケル・ブルームフィールドのギターにぞっこん。ジミヘンも好きだったけど、、、。
特に、「フィルモアの奇蹟」や「スーパー・セッション」の骨太なレスポールの音が凄かった。
でも一番好きだったアルバムは、「永遠のフィルモア」でした。
It takes timeとBlues on a Westsideは、私のブルース・ギター・スタイルのバイブルになっています。。
だから、今も、レスポールを60’sフェンダー社ツィンリバーブ・アンプJBL SPにプラグインした音は大好きです。
この頃、クラプトン+ブルーム・フィールドなどのブルース・ギタリストに影響されて、自分のギター・スタイルを確立しました。
特に、チョーキングとビブラートは、必死に練習しました。
だから、その後に影響を受けたデュエイン・オールマンには、スライド奏法。ディッキー・ベッツにはカントリーリックを学びました。 二人を完璧にコピーはしていません。
アメリカで、インタビューされると、自分のギタースタイルは、クラプトン+ブルームフィールド+オールマン+ベッツ+寿司と言ってます。(笑)

*箱根でアフロディーテ・コンサート
箱根でアフロディーテコンサートがあったけど、私はギブソンを買うため、三重県へバイトに行っていた。

*バングラディッシュ救済コンサート
ミュージックライフに、バングラディッシュ救済コンサートがあったことが記事になっていた。

*初来日を見逃す。
東京では、ツェッペリン、グランドファンクが初来日コンサート。
東京にいないと、情報や体験が2年遅れる。

*その頃の東京の音楽事情。
11月の文化祭で、大喝采を得たライブができた。
演奏したのは、サマータイムブルース、ジョーコッカーの曲、クロスロード、ブルース・・・など60‘sのニューロック。
演奏後、インタビューもあった。
うまく演奏できるバンドが少なかったから。
良い気になっていたら、東京から先輩が来て一言。
先輩:「いい演奏だったね。でも、もう東京ではクリーム等のハードロックは流行ってないよ。これから演奏するからよく聴いてな。」
と言って、先輩たちは、ジェイムス・テイラーなどのいわゆるシンガーソングライター達の曲を演奏。
??????
ハード好きだった19歳の私は、わけわからない。
めちゃいいんだけど・・、このソフト・ロックが東京では主流なの????
実際、翌年東京へ行ったら、ハードロックは健在。
ツェッペリンも観れた。
テンイヤーズ・アフターなども・・・。
そして、私は益々ブルース、そして、オールマンはじめアメリカンロックに、のめり込んで行ったのでした。

*楽器の盗難。
1972年2月、軽音の部室で、初めて楽器を盗られた。
テスコ社のアンプ“チェックメイト50”※ホワイトトーレックス
そして、ハニー社のワウ・ファズとファズ。
返せ~!
東京で知り合った仲間は、マーチンを買って3日後、部室で盗られた。
今考えても、ありえません。

*エフェクターと無縁になった。
高校2年生の学園祭の時、ワウの電池はジャック口がオンになるとは知らず、繋ぎっぱなしにしてて、本番で電池切れ。アウト。
その後、この盗難に遭い、私のエフェクター人生は終わりました。
それから、次にエフェクターを買ったのは、30年以上経過してから。
デジテックのクロスロードというエフェクター。
レスリーの音が出るから嬉しかった。リハーサルではばっちり。
でも、本番で電池がなくなってた。
言ってよ。
全然バッテリーが持たない。
まただ!
ガクッ。
次に買ったのは、数年前、アメリカで古いVOXワウと古いユニバイブ。
ワウは、ツアー途中で修理が必要だったけど、ユニバイブは、何とかステージで使えた。

まあ、こんな感じの19歳でした。

つづく。。。