26. 10月 2000 · [EPISODE 28] 関西編 その1。 はコメントを受け付けていません · Categories: 過去の四方山Episode1〜

今回から連載で、パワフル関西へお邪魔した時の話を2つ、そしてお客さんの笑える話をしたいと思います。

 

その1)大阪のプランタンで開催された”ヴィンテージ・ギター・フェア”に参加した時の話。

それは、名古屋へ戻ってナンシーを始めて間もない頃のことでした。その時は、スタッフが足りなかったため、リペアショップ・ツールボックスの茂木君に付き合ってもらって、40本ぐらい茂木号に積んで大阪へ出かけました。茂木君は、開店当初から何年もの間、毎月のように入荷したギターやお客さんのギターを東京から調整に来てくれたのです。彼は、フットワークがアメリカンで、どこへでもすぐに出かけていきますし、アメリカ人が呆れるぐらいお気楽な奴です。私は、ナンシーを始めた頃、その彼のお気楽さに随分助けられました。

名古屋にとって大阪は、昔からものすごく密接した関係で、芸能や経済などの交流が盛んでした。新幹線が出来る前は、遊びに行くというと、東京よりは大阪や京都のほうが多かったのです。私達の世代も「吉本新喜劇」や「ヤングOH!OH!」にものすごく影響されました。私は高校時代、特に岡八郎さんや花木キョウさんのあのコテコテのギャクが大好きで、必ず彼らの番組が始まる午後2時までに家へ帰ってきました。今でも、同じフレーズを繰り返し弾く奏法は、彼らのギャクの影響かもしれませんね。

 

なんとか、茂木号はアメリカ村の三角公園に到着。久しぶりに友人と会った後、すぐにプランタンへ向かったのです。遠くから参加したのは私達だけだったせいか、主催者側が気を使ってくれて一番奥のブースを用意してくれました。さっそく、LPstd’59を中心に50’sのLPやストラトなど展示しながら、翌日から2日間、どんな人達との出会いがあるのか楽しみにしていました。

翌日、開場してからすぐにたくさんの人が来場されて盛り上がり始めたのです。しかし、どうも奥にある私達のブースには近寄りがたい様子で、ただ遠巻きに見ている人が多かったのです。それでも、時折、勇気を出して近づいてきてくれた人がいると、あっという間に人だかりが出来るんですが、その人が去ると他の人もいなくなってしまうという状況が続いたのです。主催者の人が心配して「もっと、雑然と置いたほうが大阪の人には受けるんとちゃうかな?」とアドバイスしてくれたので、他のブースを見回ると本当に雑然と展示してあり、「なるほど、大阪は商売が違う」と感心しました。

もっとも、このフェアに参加したのはギターを販売するよりも、関西の皆さんにナンシーを知っていただくことが主の目的だったので、自分のブースが暇な時は他ブースのギター販売を手伝うことにしました。

あるブースに、かなり市場価格より安いギターがあったので、お客さんに勧めていたら、そのブースのオーナーがやってきて、「それ、音でえへんで!直しておくから明日おいで」とお客さんに話してまたどこかへ行ってしまいました。

これには私も茂木君も唖然。「さすが大阪!さらに常識が違う」とびっくりしました。後でわかったんですが、スタッフが間違って未修理品を展示してしまったらしく、オーナーに怒られていたようです。

2日目に入って、他のブースは結構売れていたようですが、積極的に売る気のない私達は相変わらず他のブースのお手伝いをしていました。閉会まで3時間ぐらいになった時に、以前からお付き合いいただいているYさんがやってきて、「なにしとんの、まだ1本も売れへんの?売る気にならな売れへんでぇ~。ここは大阪やぁ!」と私達の代わりに接客し始めて、あれよあれよと瞬く間に商談を成立させてくれました。彼とお客さんの会話を聞いていて、大阪での値切る言葉は挨拶代わりみたいなもので、本当に良いものは理屈抜きに賞賛してくれるし、買い方もメチャ豪快なんだと感心しました。

お陰さまで、Yさんのお助けによって帰りの車が軽くなり、早く名古屋へつくことができました。ちなみに、大阪に支店を出したらYさんを店長にする約束は、今を持って果たせていません。                              つづく。

予告!

その2)梅田は、大阪でも梅田は梅田だ!の巻

その3)アンディ・フェイザー・ロー・ストラップになっちゃった!事件

 

では、今からジミー・原田さんのところへ髪を切りに行ってきます。