26. 2月 2020 · [EPISODE2763]“オールマンにはまる前。はまった訳”の続き。。 はコメントを受け付けていません · Categories: 新着情報

前回は、サイケデリック・バンドをやる意気込みを書くつもりだったのですが、自分史の一部を書いてそこまで行かなかった。
ははは。。。
面白いから、もうちょっと続きを書こう。
昭和48年頃?。
北池袋のアパート。
懐かしいな。。。。
色々、エロエロあった嬉し恥ずかし、昭和の四畳半。

その1)マヨネーズ事件
相変わらず、後輩Sがやってくる。
S:「ブルース教えて。」
奴は、教えを乞う態度じゃあ~りません。
しゃあないな。
一緒にポータブル電蓄で、オールマンやブルースを聴きながらギターを弾く。
飽きると、近所のお好み焼屋へ。
S:「おじさん、マヨネーズ頂戴。」
おじさん:「????」
私:「マヨネーズ??? どうするんだ?」
S:「先輩、お好み焼はマヨネーズで食べるんですよ。」←広島弁で書けない。
私とおじさん:「はあ??」
私:「変なの。」
おじさんは、しょうがなくマヨネーズを持ってくる。
S:「うまい!お好み焼にはこれだな。先輩もどうですか?」
私:「ありえんだろ。マヨネーズで食べるなんて、聞いたことない。」
もぐもぐ。。。
S:「うまい! 先輩、ぜひ食べてください。」
私:「はあ・・・?」
岩国生まれの強引なSは、私のお好み焼へ強引にマヨネーズをブチュ!
何すんだよ。
私:「まずかったら、後はお前が食べろよ。」
S:「まあ、食べてみんしゃい。」
私:「・・・。」
もぐもぐ。。。
うん?
おっ!
うまい!
剛柔流の達人Sが、ニッ!と薄笑い。。。
S:「でしょ!でしょ!」
私:「ま、まあな。」
お好み焼にマヨネーズを目覚めた、若干二十歳の冬。
それ以来、その店に行くたびにマヨネーズ。
3回目から、おじさん、マヨネーズ代10円取るようになった。(笑)
今、マヨネーズは当たり前ですが、昭和40年代の東京では珍しかった。
少なくても、私は知らなかった。
お好み焼きには、「値段は高いが良い味!」のコーミ・ソースが一番!

その2 ラメラメ! 私はメラメラ!
時は、昭和40年代後半。
グラムロックが流行りだした頃。
1972年冬、T・レックスの武道館公演。
バンドがステージに出る直前、グラグラ~。
あの頃には珍しく震度4.
私は、御茶ノ水のI楽器でバイトしてた。
イギリスでは、ほとんど地震は起こらないそう。
マークさんは、「地球が割れる! 地球が割れる!」と、叫んだそうです。
グラムロックといえば、サテン(生地)の服。
スレンダーの女性が着ていたラメ入りタンクトップがエロかった。鎖骨!!
でも、リーバイスのジーンズを履いている私には、全く無関係。
音楽も服装も、流行に左右されない私。


これでも、一途な私。
好きになったらとことん!
飽きるまでは・・・。
でも、私の部屋にはラメが一杯。
あの頃、女性は髪の毛にラメを振りかけるのが流行っていて、みんなが彼女を連れてくると、ラメが畳の目に詰まってしまいました。
掃除機なんてしゃれた文明の利器はありません。
ホウキでは中々取れません。
知り合いが来るたびに、「彼女来たの?」
みんなと会うと、「顔にラメ付いとるぞ。どったの?」
S:「またかよ。」
私:「ちゃうて!」
青春の想い出。(笑)

その3)本題。
さて、本題は、オールマン・ブラザーズと出会う前に影響受けたロックを演奏。
KKHのために作曲しましたが、著作権の関係で、プロテクト完了まで人前で演奏できません。
今回のライブは、1960年代後半の名曲を編曲して演奏することにしました。
ソロではないので、サイケ・ミュージックに影響されて作った曲以外は、編曲したカバー曲を中心に演奏することにしました。
これが楽しい。。。
どんどんアイディアが膨らみます。
名曲を編曲。


私:「どう?」
秀夫さん:「こう来たか。」
秀夫さんは、自らオノ・合コン!と呼ぶ。
ははは。
敬三さん:「むふふふ・・・。いいね。」
敬三さんは、何でも対応してくれる。
私:「敬三さん、技のデパートですね。」
秀夫さん:「そうですね。」
敬三さん:「でもね、昔から器用と言われるけど、器用貧乏みたいで、何か嫌なんだよね、」
私:「そういう意味でなく、素晴らしい音楽力ですよ。」
バンドはベースが要。
ありがたいです。
今回、セッション曲を真面目に演奏。
当たり前ですが、今のセッション代表曲でも、当時は新曲。
全然弾けない人が多かったのです。
よし!!!
2月27日原宿クロコダイル & 3月7日名古屋シーダーズ、
みんなで、トリップするぞ!
もちろん、ナチュラルハイでね!
来てね。
つづく。